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公開:1991
監督:George Stevens Jr.
地域:サウス・キャロライナ州
出演:Sidney Poitier、Burt Lancaster、Richard Kiley、Cleavon Littleほか
範疇:TV映画/実話を脚色/法廷もの/人種差別/学校教育/NAACP
私の評価 :☆
【Part 1】
1950年、サウス・キャロライナ州。田舎の学校まで歩く黒人の少年・少女たち。学校は全学年30人を一教室に収容し、校長兼教師である黒人牧師Ed Hall(エド・ホール)と黒人女性教師一人が指導に当たっていた。自動車修理工Tommy Hollis(トミィ・ホリス)が車で息子を送って来る。彼は息子を冷やかす牧師に「毎日5マイル(8km)歩いて登校し、また同じ距離を歩いて帰る。息子は家に戻るとぐったりなんだ」と云う。その日、下校する少年を牧師が見送っていると、白人専用の通学バスが少年を埃まみれにして通過して行った。
牧師は同じ学区の教育長に「バスを一台くれ。燃料は住民で何とかする」と頼むが、剣もほろろの応対だった。牧師は黒人弁護士と共に少年の父Tommy Hollisを説得し、バス運行の嘆願書を提出する。この段階では州知事、教育長もまだ彼の動きを見くびっていた。
Ed Hallの教会にニューヨークのNAACP(National Association for the Colored People=全国黒人地位向上協会)の責任者Sidney Poitier(シドニー・ポワチエ)がやって来て、黒人の親達に「20人の署名が集まれば、我々が後を引き受ける」と告げる。牧師Ed Hallの署名運動が始まる。それは同時に黒人たちへの弾圧のスタートでもあった。牧師は校長を解任され、Tommy Hollisは修理工場を首になった。しかし、署名は66も集まり大成功だった。
1951年、サウス・キャロライナ州チャールストンにある連邦裁判所。原告Tommy Hollisの代理人であるSidney Poitierと、州知事の代理人であるGraham Beckel(グラハム・ベッケル)が席に着く。刑事事件ではないので、この裁判には陪審員は存在せず、裁判長が判決を下すことになっていた。しかし、Sidney Poitierの告訴趣旨を質した裁判長は「教育設備をめぐる裁判であればこのままでいいが、告訴が憲法違反の有無を問うものとなると、それは三人の判事による裁判でなければならない」として、日取りを改めて裁判を行なうことを宣言。
その間、Sidney Poitierは時間を無駄にしなかった。「差別教育の悪弊を示す証拠が必要だ」と考え、心理学者を招んで黒人生徒たちの心理試験を行なう。学者は黒い人形二つ、白い人形二つを子供の前に並べ、「綺麗な人形はどれか?キミに似ている人形はどれか?醜い人形はどれか?」と尋ねる。低学年から高学年まで、子供たちは一様に白い人形は綺麗で、黒い人形は醜いと答える。これは分離教育により自尊心が欠如した結果と云えた。
三人の判事による裁判が開始される。Sidney Poitierは「白人の子供一人当たりの教育予算は$179、黒人の子供一人当たりの予算は$43。これは明らかに差別である。州の教育関係部局は全て白人で占められている。これは差別という以上に人種的独占だ。弁護側は漸進的改善を唱えるが、今が改善の時だ」と主張する。
黒人寄りの発言をした判事の家にK.K.K.の燃える十字架が立つ。彼の少数意見はありながらも、判決は「州法の定めるところにより、分離教育は合法」というものだった。Sidney Poitierは直ちに連邦最高裁に上告する。
州知事は南部出身の高名な判事Burt Lancaster(バート・ランカスター)に接触し、「最高裁ではあなたに弁護して貰いたい」と依頼する。Burt LancasterはSidney Poitierにとって最も手強い相手となる。
牧師Ed Hallの家に火が放たれ、やって来た消防車は何もせずに引き返す。一家四人が焼け出された。
いよいよ舞台はワシントンD.C.の連邦最高裁へと移る…。
1954年に結審する足掛け5年の裁判闘争を描いた、史実に即した映画。実際には"Brown vs. Board of Education"(ブラウン対教育委員会)という裁判で、Sidney Poitierの役はThurgood Marshall(サーグッド・マーシャル)という人物がモデル。この人は後に黒人初の最高裁判事に選ばれたそうです。
原題'Separate But Equal'とは「分離すれど平等」という意味で、教育、職業、乗物など、平等の機会・施設が用意されていれば白人と黒人を分離しても合法という1896年の最高裁判決を指します。しかし、これは明らかに米国憲法修正第14条「全ての国民は法の前で平等」という趣旨に反していて、連邦裁の「分離教育は合法」という判決は憲法を無視しています。これを衝くことがNAACP側の武器でした。
NAACP内部の議論で「いきなり手強い深南部で闘って負けるより、北部で勝ち点を稼ぐべきだ」という意見が出るなど、非常に興味深い内容です。連邦最高裁では9人の判事による裁判で、原告・被告双方の意見陳述の後は裁判長が全員一致の判決とするべく奔走する様が描かれます。
CATVでは二夜にわたって放送されたようで、VHSテープ二巻組の大作です。撮影、演出、演技は劇場映画と何ら変わらない上質のものです。
監督のGeorge Stevens Jr.(ジョージ・スティーヴンス二世)は'Shane'『シェーン』(1953)などのGeorge Stevensの息子です。主にTV映画で活躍しているようです。この映画では脚本も執筆。
Sidney Poitierは毅然とした法律家の姿と電気機関車で遊ぶ稚気と、それぞれを見事に演じています。Burt Lancasterには往年の迫力はなく、Sidney Poitierと丁々発止というわけには行きません。私には黒人牧師を演じたEd Hallの渋い演技が光って見えます。迫害にあいつつも、「いまここで廻れ右したら、改革は永遠にやって来ない」と信念を貫く姿を抑制された表情で演じています。
(August 11, 2002)
【追記】
以上は映画を視聴した際のあらすじと解説ですが、史実について付記すべきことを発見しました。
"Brown vs. Board of Education"(ブラウン対教育委員会)という一件は実はカンザス州Topeka(トピカ)に住む黒人一家Brownに由来するのでした。発端はLinda Brown(リンダ・ブラウン)という小学生が近くの白人の小学校へ通えず、バスで遠くの黒人用小学校に行かざるを得ないという差別を訴えたもので、その後のなりゆきは映画と全く同じ。地裁の判決を不満としたNAACPは、他の州で係争中だった似たようなケースを統合します。すなわち、Delaware、Virginia、Washington D.C.、そしてこの映画のSouth Carolinaです。NAACPはこの問題が南部だけのものではないことを象徴する意味で、カンザスの名前を残したため、"Brown vs. Board of Education"はカンザスの出来事と解釈する向きもあるようですが、実は集団訴訟だったわけですね。
(October 06, 2002)
【公民権運動関連】
・Crisis at Central High『アーカンソー物語』 (1981)
・For Us, the Living(未公開)(1983)
・Eyes on the Prize(未公開)(1987)
・The Long Walk Home『ロング・ウォーク・ホーム』 (1990)
・The Ernest Green Story(未公開)(1993)
・The Vernon Johns Story『怒りを我らに』 (1994)
・4 Little Girls(未公開)(1997)
・Ruby Bridges(未公開)(1998)
・Selma, Lord, Selma(未公開)(1999)
・Crazy in Alabama『クレイジー・イン・アラバマ』 (1999)
・Freedom Song『フリーダム・ソング』(2000)
・The Rosa Parks Story『ローザ・パークス物語』(2002)
・Sins of the Father『父と罪 重き告発』(2002)
Poster shown above is a courtesy of Nostalgia Factory.
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