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公民権運動を描いた映画、ドキュメンタリーなどを観て黒人たちの闘いに感動しました。これは主に南部のいくつかの出来事を振り返り、その史跡を訪ね歩いた記録です。

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● 終章・黒人たちの抱える問題 (2006)

「ブラウン対教育委員会・最高裁判決」から50年経った2004年、原告代表の娘Linda Brown(リンダ・ブラウン)は「学校教育に関する最高裁判決は実現されていない」と述べました。「事実上の人種差別は合衆国の至る所で見られる」とも云っています。

「ブラウン対教育委員会」裁判の際、弁護側は「多数の黒人の子供の中へ、数人の白人の子供を投げ込めば、双方の学力レヴェルが上がるとでも云うのか?そんなことは信じられない」と反論しました。しかし、黒人たちの主張が通り、あらゆる公教育の場から人種の壁が取り払われ、黒人も白人もヒスパニックも平等に通学出来るようになりました。実際には南部諸州の学校の人種統合の歩みは遅く、「ブラウン対教育委員会・最高裁判決」から数十年経ってやっと達成されました。しかし、現在、また学校の人種差別が復活しています。今度は法律や条例による差別ではないため、誰もそれを非難したり告訴したり出来ません。白人の親たちが黒人の子供たちとの“共学”の学校を捨て、私立学校に子弟を送り込み始めたのです。公立の学校は黒人(+インディアン、アジア人、ヒスパニックなど)だけの学校になりつつあります。つまり、お金のある白人子弟は私立へ、貧しい有色人種と移民の子弟は公立へと再編されつつあるのです。

なぜ、こういうことが起るのか?私の町の御婦人たちに云わせると、黒人青少年たちの暴力が恐ろしく、とても自分たちの息子や娘を通わせることは出来ないのだとのこと。高校教師に云わせると、「特にトイレで暴力沙汰が起るので、教師たちが交代で巡回することにしている。それでも事件は起る」そうです。20代の青年に聞きますと、公立学校における暴力沙汰は事実で、黒人も白人も、男子生徒も女生徒も、頻繁に喧嘩や罵り合いをしているそうです。

私が町やゴルフ場で接触する黒人たちは、誰もがフレンドリーだし、紳士的でさえあります。しかし、新聞に掲載される強盗や殺人の犯人たちの過半数は黒人ですし、ドラッグの売買が黒人を中心に行われているのは周知の事実。ある白人の老人は「黒人同士が喧嘩すると、殴り合いではなくすぐ殺し合いになってしまう。それが親戚でも親子兄弟でさえもだ。恐ろしいことだ」と慨嘆していました。ミズーリ州から来てミシシッピ州で暮らしているある白人女性は、「病院で8歳だの10歳で妊娠している女の子を見て信じられなかった。私の娘が学齢に達したら絶対ミズーリ州に帰る」と断言していました。

1954年の「ブラウン対教育委員会」裁判は、「憲法は『万人は法の前で平等』と謳っており、黒人を劣った人種として扱うのは違憲である」として告訴され、最高裁もその主張を認めたものでした。黒人たちの前に学校を初めとする全ての公的機関の扉は開かれ、教育は機会均等になったというのに、この有り様は一体どういうことなのでしょう?頂点では黒人の最高裁判事が出現しましたし、作家、俳優、ミュージシャン、スポーツマンなどの偉大な存在があるのですが、底辺では全く話が別のようです。

「8歳や10歳で妊娠」というのは特別としても、高校生、短大生で妊娠・出産し、なおかつ学校へ通っている女生徒は珍しくありません。当地の新聞に顔写真入りで堂々と出ているほどです。黒人たちはかなりセックスに放縦のようで、30代にして5人の子持ちであるという女性もいます(しかも未婚)。ある人は、「そういう生き方は子供を沢山作って生活保護を受け、健康保険の恩恵に与り、フード・スタンプ(食料品購入のための政府発行のクーポン)で気楽に生活する手段なのだ」と非難します。

2004年8月4日の新聞に次のようなニュースが掲載されました。ミシシッピ州はアメリカの中で最も未成年の妊娠率が高いのだそうです。2001年の新生児の実に46%は未婚の母が生んだもので、彼女たちの1/3は十代だそうです。この記事は人種を特定していません。勿論、白人の十代も混じっているでしょうが、私はこの未婚の母たちのほとんどは黒人であると推察します。

全ての根底に貧困という要素があります。貧しい→高学歴を得られない→低収入の職業にしかつけない→子供を大学にやれない→子供も低収入の職業にしかつけない…という悪循環。もちろん、何かの分野で頑張って奨学金を得ることは出来ます。しかし、黒人たちの父兄の大半はスポーツ(バスケット、フットボールなど)の面で子供たちの能力開発をするばかりで、勉学の方向に向かわせることは少ないそうです。学者の研究によれば、「母親の学力レヴェルが子供の勉学意欲を規定する」とか。つまり、高校で妊娠しドロップアウトした母親の子供には、高校・大学への進学意欲は出て来ないというわけです。白人たちには、貧しく教育のない黒人たちを温存するメリットがあります。学歴もなく手に技術もない黒人に、最低賃金でダーティな仕事(清掃、土木工事、屠殺その他)をやらせておけるからです。日本株式会社が東南アジア、韓国、中国などの人々に低賃金で仕事をさせて利益を得ていたのと同じ構図です。

私の友人のアラバマ州在住の大学教授(アメリカ人)が語るところによれば、「深南部の黒人たちは、かなり近親に近い間柄で結婚する傾向があり、劣性遺伝のような特徴を持った生徒が多い。頭脳明晰な者もいるが、いくら頑張って勉強しても限界がある者も多い」とのことです。黒人たちの社会が狭くて、世間一般の常識が認識されていないことを示しているようです。

コンドームを買う余裕がないのか、コンドームが嫌いなのかどうか知りませんが、黒人の繁殖力は驚異的です。それは選挙の票に結びつきます。公民権運動の成果によって黒人の選挙権が確立されたため、あちこちの都市の要職は選挙で勝った黒人が占めつつあります。「ブラウン対教育委員会」裁判のカンザス州の州都Topeka(トピカ)の市長は黒人ですし、ミシシッピ州の州都Jackson(ジャクスン)の市長も黒人です。2003年のデータですと、人口40,000人以上の都市の黒人市長の数は500人もいて、増え続ける一方だそうです。ある黒人の老人に「黒人の大統領が出現するのも遠くないだろう」と水を向けましたら、彼はひそひそ声で「アジア人、ヒスパニック、インディアン、黒人などが連携すれば、今だって政権を取れる」と云いました。動物のように狩られて集められ、アメリカ大陸へ拉致されて来られて売買され、劣った種として蔑まれ、人間としての尊厳を無視されてこき使われて来た黒人たちが、多数派となってアメリカ合衆国を乗っ取ろうというのは皮肉です。黒人が舵取りをする船が、泥船に化けないといいのですが。

公民権運動の歩みに感動し、いくつかの史跡を巡り歩いて来た私に黒人への偏見はありません。しかし、バス・ボイコットの起爆剤となったRosa Parks(ローザ・パークス)やキング牧師を初めとする“偉人”、血を流し銃弾に倒れた人々、雨風の中を行進し続けた無名の人々のことを思う時、彼らは今の黒人のあり方をどう思うだろうかと考えざるを得ません。黒人の生徒たちの暴力沙汰を恐れる白人の生徒たちが学校から出て行き、「ブラウン対教育委員会・最高裁判決」は事実上反故になっています。人種の壁はなくなって、黒人も白人も平等に麻薬を打てるようになり(もちろん違法です)、すぐ首を吊られることなしに平等に裁判にかけられるようになったので、安心して銀行強盗が出来るようになりました。しかし、これらはキング牧師の“夢”に入っていたでしょうか?

[Cosby]

2004年のNAACP(全国黒人地位向上協会)の「ブラウン対教育委員会・最高裁判決」50周年を祝う式典に招かれたコメディアンのBill Cosby(ビル・コスビィ、右の写真)が、次のようなスピーチをしました。「都市部の学校をドロップアウトする黒人生徒の数が増える一方である。彼らは公民権運動が勝ち取った機会を活かそうとしていない。黒人が教育を手にするために、人々は石をぶつけられながら行進したというのに、我々はいま、馬鹿者たちがうろつき廻るのを見るだけだ。黒人青少年の喋り方もひどい。最初、私は彼らだけを非難していたのだが、実は彼らの母親もひどい喋り方をする。父親もだ。まともな英語を喋れないようじゃ、博士になんかなれっこない。黒人の囚人の数の多さにも呆れる。彼らは政治犯なんて気の利いたもんじゃない。コーラを盗んだケチな連中なんだ」この発言は毀誉相半ばする反響がありました。Bill Cosbyを“階級主義者”と決めつける黒人もあれば、「まだ人種差別が残っているのに、差別主義者を助けるような発言だ」と憤る黒人もいます。私はBill Cosbyは正しいと思います。

黒人男女の好みの別れの挨拶は"Take it easy."(気楽にね)です。黒人たちは“気楽”過ぎるのではないか?というのが私の率直な印象です。走っている車からゴミを投げる、先着順で発車すべき交差点をすり抜けて行く、行列しているところへ友人や知人を割り込ませて平然としている等々。勿論、白人にもこういう輩はいます。しかし、私の経験では断然黒人の方が多い。黒人たちはこういう行動を「スマートな(賢い)行動である」と錯覚している節があります。教育が行き届いていないから、良識を弁えていないということはあるでしょう。子沢山だから躾けも十分でないという面もあるでしょう。では、何時その状態が終わるのか?このままダラダラと時が経っても、アメリカの黒人たちに明るい未来はないような気がします。

「公民権運動」で一丸となって行動した時のように、黒人全体が真剣にライフ・スタイルの改革を目指す必要がありそうです。産児制限を推進し、子供の学習に関心を持つ。親もせめて中学校の学習内容程度は子供に教えられるように再履修する。性教育、道徳教育に力を入れる。学校をドロップアウトする芽を断つ。青少年を喫煙・飲酒・麻薬から遠ざける。未婚の母などを甘やかす生活保護をやめる。黒人たちに学歴がつき、モラルも定着する日が来れば、白人の子供たちも公立学校に戻って来て、再び学校の人種統合が果たされるでしょう。その日が真の公民権運動のゴールではないでしょうか。

ところで、本当に黒人の大統領が出現するかどうかですが、2006年10月下旬の新聞に興味深い記事が掲載されました。最新の国勢調査を受けて人口統計学者たちが未来の人口を人種別に予測したのです。それによると、現在3億人のアメリカの人口が4億人になるのは2,043年だとか。その時、黒人は15%、アジア人8%、ヒスパニック(メキシコを含む中南米人)が24%で計47%。残り53%がヒスパニックでない白人とされています。この予測が正しければ、黒人よりもヒスパニックの大統領が出現する可能性の方が高いかも知れません。

上の記事は、異人種間結婚についても述べています。「1970年代に黒人と白人の結婚に反対する白人は三人に一人だった。最近ではそれが十人に一人に減って来ている」と云うのです。異人種間結婚が広まれば人種差別がなくなるというものでもないでしょうが、境界が曖昧になれば人種という括りの差別は意味がなくなって来るでしょう。だとしても、その時問われるのは教育と教養を土台にした各人の人間性、勤労意欲、信頼度、協調性などではないでしょうか。やはり、黒人たちは今のままであってはいけないのです。


【完全なる融和のために】

2004年にアメリカで発行された「完全なる融和のために」というタイトルの10枚組の切手シート。1948年から1965年までの黒人たちの歩みを、様々な芸術家による絵画・写真・彫刻などで象徴しています。

[Stamps]

1) 1948年 トルーマン大統領により、黒人が軍人として採用されることになった。

2) 1954年 ブラウン対教育委員会裁判が最高裁で結審し、「公教育の場での人種差別は違憲」とされた。

3) 1955年 アラバマ州の州都モンガメリで、人種差別を止めない市営バスのボイコット運動。

4) 1957年 アーカンソー州リトルロックで、黒人学生九人が白人の高校に編入し、白人父兄や人種差別主義者たちの妨害を受け、アイゼンハワー大統領が空挺部隊を差し向けて鎮圧するまでの騒ぎとなった。

5) 1960年 ノース・キャロライナ州グリーンズボロのデパート内ランチ・カウンターで、黒人学生たちがサーヴィスを要求して座り込みを開始。この抗議行動は各地に飛び火し、公民権運動が全米に広がり始めた。【註:このデパートが現存すれば当然「史跡めぐり」に入るところですが、もう取り壊されて跡形もないそうです】

6) 1961年 人種差別が実際に解消されたかどうかを検証するため、白人・黒人混合の若者たちが南部を横断するバス旅行を企て、各地で差別主義者たちから暴力をふるわれた。

7) 1963年 首都ワシントンに250,000人が集まり、人種平等を訴えた。キング牧師の"I have a dream"スピーチが有名。

8) 1964年 ケネディ大統領によって1963年に起案され、この年ジョンソン大統領によってサインされた公民権法が発布。

9) 1965年 人種差別撤廃を訴え、キング牧師を先頭にアラバマ州セルマから州都モンガメリまで80キロの行進が行なわれた。

10) 1965年 この年、黒人たちの選挙権が法によって初めて明文化された。


[Obama]

【追記】

2009年、私の予測よりずっと早く黒人大統領が誕生してしまいました。ブッシュのだらしなさによる共和党の凋落と大統領候補の弱さ、ビル・クリントンのマイナス・イメージがヒラリーに影響したことと、まだアメリカが女性大統領を望んでいなかったこと…など様々な要素があったと思います。知名度の低かったオバマ上院議員が大統領になれたのは、棚ぼたのような感じであったというのが私の印象です。黒人たちにも「ここで黒人の大統領を出そう!」という機運はそれほど高まっていなかったように見受けられます。オバマ大統領は急進的な変革は考えていないようで(そんなことをすると、また暗殺されてしまう)、彼を支持した人々をがっかりさせているのではないでしょうか?現在はブッシュが残した負の資産(不景気・失業・戦争)などを処理するのに大わらわで、“オバマ色”というか、初の黒人大統領としての特色ある提案・業績というものは見られません。「先ず現在を乗り切り、それからの話だ」と考えているのでしょう。黒人の有権者たちは黒人に有利な施策を期待しているかも知れませんが、黒人・白人の就学率を高め(高校からのドロップアウトを防ぐ)、黒人・白人の教育レヴェルを向上させるのが急務です。それこそが黒人大統領ならではの業績となることでしょう。

(January 04, 2010)


Index

  1. イントロダクション
  2. ブラウン対教育委員会・最高裁判決 (1954)
  3. モンガメリ(アラバマ州)のバス・ボイコット (1955)
  4. リトル・ロック(アーカンソー州)セントラル高校の人種統合 (1957)
  5. ニュー・オーリンズ(ルイジアナ州)のルビィ・ブリッジス(6歳)の入学 (1960)
  6. ミシシッピ大学初の黒人学生ジェイムズ・メレディスの転入にともなう暴動 (1962)
  7. ミシシッピ州NAACP代表メドガー・エヴァーズの暗殺 (1963)
  8. バーミングハム(アラバマ州)の教会爆破事件 (1963) 
  9. ミシシッピ州「フリーダム・サマー」活動家三人の暗殺 (1964)
  10. セルマ→モンガメリ(アラバマ州)選挙権獲得をめざす大行進 (1965) 
  11. ジェイムズ・メレディスの「恐怖への行進」(ミシシッピ州) (1966)
  12. メンフィス(テネシー州)のキング牧師の暗殺 (1968)
  13. 終章・黒人たちの抱える問題 (2006)





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