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日米異文化体験のリポート
これは、もともとはDTPで友人、知人向けに発行している同名のnewsletterの記事がオリジナルです。 WWWでonlineになってしまうと、もはやofflineではなくなってしまうのですが:-)by E. T.
ゴスペル・チャーチ
Vol.1、 Vol.2、 Vol.4
ゴスペル・チャーチ
私のこちらの友人にJulian(ジュリアン)という40代の男性がいます。ジャズ・ミュージシャンで、テナー・サックスやフルートを演奏します。ペンシルヴァニア州で結婚して子供も二人いたのですが、離婚してからメリディアンの母親の家に一人転がり込んで来て、音楽のレッスンやレストラン、画廊などでの演奏で細々と稼いでいました。
数カ月前から、彼は黒人が通う教会に雇われて、週一回演奏するようになりました。牧師も会衆も黒人ばかりで、白人は彼たった一人です。しかし、誰もがフレンドリーだし、リハーサルを入れて二日、実働計4時間程度で週$100.00貰えるというので、Julianは大喜び。で、私に「是非見に来い」と云うのです。会衆の興奮状態も凄く、白人の教会では想像も出来ない礼拝だというのです。
実はゴスペル・チャーチを一度覗きたいというのはかねてからの念願でした。映画『真夏の夜のジャズ』のマハリア・ジャクスンのゴスペル・ソングには感動した口ですし、南部ものの映画によく出て来るような全会衆が手拍子で歌うような姿を一度見たいと思っていました。しかし、信者たちが真剣に祈る場を“覗きに行く”だけというのがちと申し訳ないし、「よく来た」と寄ってたかって“折伏”されたら困るという心配もありました:-)。
カミさん(Barbara)の姉Alisonは、「ルイジアナ州には観光客の参加を歓迎する教会もある。いくばくかの寄付をおけば、どこの教会だって大喜びよ」と私の杞憂を笑いました。
三月に入り、Julianが「三週目は火、水、木、金…とリヴァイヴァル集会(聖霊の働きにより集団的に信仰心の覚醒・一新が起ることを目指す集会)が行なわれる。リヴァイヴァルは通常の日曜礼拝よりも会衆の興奮が凄い」と教えてくれました。日曜礼拝は朝ですが、リヴァイヴァルは夜間です。それも7時から10時まで続くという長丁場です。Barbaraは「仕事で疲れて、とてもそんなのに出られない」というので、私一人で行くことにしました。Julianは「あんたが来るんなら、うちの母親にも一度見せたかったので、連れて行く」とのこと。木曜日はジョージア州からのゲストの女性説教師が来るそうで、この日が一番よかろうということになりました。
6時50分にLove City Fellowship Churchに着いて、玄関でJulianを待っていました。黒人達が次々にやって来まして、皆"Hi! How are you doing?"と声をかけてくれます。確かにフレンドリーです。"May I help you, sir?"という声に振り返ると、私が見上げなくてはならないような高さの、スレンダーな黒人の美女が立っていました。Betsyという名の彼女は"Welcome lady"で、会衆を歓迎し、子供連れなどの家族の面倒をみたりする役目だそうです。ちょうどいいので、いくつか質問しました。先ず、"Love City"というユニークな名前の由来。「イエスの愛をコミュニティに広める」という意味をこめているそうです。アラバマに姉妹教会が一つあり、現在計二つだが信徒の数は確実に膨張しつつあるとのこと。特徴は格式張らずに、非常にカジュアルなこと。他の教会のように黒の正装で来る人もいればTシャツ、ジーンズの人もいる。個人の自由だそうです。
Julianが母親と到着し、彼等と一緒に教会に入りました。400人は楽に入れる広さです。カソリック教会などで見られるようなベンチではなく、一人用椅子が並んでいます。ひざまずいた時に肘をつく机というようなものはありません。この日の入りは約200人という感じ。
正面は講堂のように高くなっていて、牧師や説教師のための演壇が中央にあり、その後方に聖歌隊の椅子があるだけ。つまり、十字架もゴテゴテした飾りも何も無いのです。祈りを捧げるのは、そうしたシンボルに対してではないことが分ります。他の教会では聖歌隊は揃いの派手な上っぱりを着ていますが、ここでは制服は無く普通のカジュアルな格好です。人数も六人しかいません。貧しい教会だから装飾も制服も無いというのではなく、そんな装飾は必要無いということでしょう。
その証拠にJulianを含めて生演奏する楽隊は計六人もいます。Julianのテナー・サックス、ギター二名、キイボード一名、ドラムス二名(交代制)です。一人週$100.00として六人で$600.00、月に$2,400も楽隊に使うのですから、こんな贅沢はありません。
牧師のLamorris Richardson(ラモリス・リチャードスン)が登場します。キリスト教には"Minister"と"Pastor"という職があります。どちらも英和辞典では「牧師」となっていますが、聞くところによれば"Pastor"は教会に所属した牧師、司祭(カソリックの場合)であり、"Minister"(="Preacher")は教会に属さない牧師だそうです。この日、牧師は法衣ではなく背広を着ています(ダークスーツではありません)。彼が「今日誕生日の人いる?」と聞くと、何人かが手を上げます。「ハレルヤ!今日ハッピーな人は?」大勢が手を上げます。「ハレルヤ!」この後、ハレルヤの連打と共に牧師の言葉は次第にメロディックになって行き、楽隊が加わって、自然に賛美歌になだれ込みます。
この賛美歌ですが、中世風賛美歌ではなく黒人の教会独特のもので、黒人霊歌的なものとジャズにもなっているワークソングの系統と二つあるそうです。どちらも一般的にはゴスペル・ソングと呼ばれます。「ゴスペル」は「福音」という意味ですから、人を宗教的に勇気づけたり、神やイエスを讃える内容は全てゴスペル・ソングです。こちらのレコード(CD)ショップに行くと、こういうゴスペル・ソングやソフト・ロック系の宗教歌だけで丸々一列の棚を占有しているのに驚かされます。教会で聞き、歌うだけでなく、自宅や車の中ででも聞くという熱心さの現われです。
この夜、先ず歌われたのはワークソング系の賛美歌。マイクを手にした牧師は、大音響のスピーカーの助けで会衆の脳髄を直撃します。会衆は全員立ち上がって歌いながら、手を打ったり、両手を高く挙げて振ったり、身体を捻り、腰を廻し、足踏みし、もういきなり興奮状態になります。ここの聖歌隊というのは歌をリードするのではなく、牧師が歌った一節の後半を繰り返す相槌の役です。会衆が手を打つのも相槌で、まさに正真正銘のワークソング。かくして教会内は一見熱狂的聴衆に囲まれたロック・コンサートかディスコのような様相を呈します。私の前には生後二ヶ月という感じの赤ん坊を連れた若夫婦がいました。大音響と手拍子にも関わらず、赤ん坊は篭の中でスヤスヤと眠っていました。多分、胎教から始まっているでしょうから、赤ん坊には生まれながらにゴスペル音楽が染みついているのでしょう。
ワークソング風賛美歌が20分ぐらいあり、その後は黒人霊歌風のスローな賛美歌が歌われます。これも我々が学校で習った黒人霊歌ではなく、今風のビートにアレンジされたリズムです。これも20分ぐらい。
牧師がイエスへの感謝の祈りを捧げます。…と云っても、普通に想像出来るようなスタイルの祈りではなく、ほぼ絶叫調で会衆に感謝を呼びかけるのです。こういうのをペンタコースタル派と呼ぶそうで、「聖霊の直接の感応を説き、宗教的興奮を誘う言葉を多用する一派」だそうです。この教会の牧師は、さらに"charismatic-pentecostal"(カリスマ派のペンタコースタル)と自分を定義しています。カリスマ派とは「治癒の力など信者に聖霊がもたらす超自然力を強調する一派」だそうです。牧師のリードで、会衆それぞれが"Thank you, Jesus."とか"Hallelujah!"、"Amen!"(エイメン)などと唱えます。私の後ろには小学校入学前の子供を持つ若い夫婦がいましたが、二人とも"Thank you, Jesus."を無限とも云える回数で口にしていました。本当にイエスに感謝していなければ、そこまで熱心にはなれない筈で、黒人達の信心深さが窺えました。白人の教会では、咳をするのもためらわれるほど静寂が支配しています。静かであっても信心の深さは計り知れないとは思いますが、やはりこれだけの"Thank you, Jesus."が口にされる事実には圧倒され、感動してしまいました。
続いて本日のゲストの説教師の女性の登場。彼女の今日のテーマは「奇跡について」というもので、どうやら「考え方次第で奇跡はあなたの周りのどこででも起る」ということを説いていたようです。“ようです”と云うのは、彼女の南部訛り+黒人英語がさっぱり理解出来なかったからです。マイクが口に近過ぎて割れた音になっているのも聞き取りにくい原因ですが、会衆はちゃんと理解して反応しているので、音が割れているのは彼等には問題無いようです。
説教師の後ろに座っている牧師は、いい説教に共感すると立ち上がり、"Yeah!"とか云ったり、手を振ったり、感動して近くの人と握手したり、とにかく何らかの意思表示、リアクションをします。牧師がこうですから、会衆がじっといるわけがありません。
会衆は自分が賛同出来ることが喋られると、先ず手を上げます。学校などで「質問は?」と云われて手を上げる感じですが、こちらは「同感!」という意思表示であって質問ではありません。もっと話に共感を覚えると人々は立ち上がります。もっと感動すると、立ち上がって手を振ります。"All right!"(オールライ!)という賛同の言葉も聞かれます。
この説教師は冗談が好きな人のようで、笑いの数は漫談(スタンダップ・コメディ)に匹敵するような感じです。冗談は普通の会話調ですが、一旦真面目になるとリズミックな口調になり、次第にテンポを上げ、しまいに絶叫調へと移行します。会衆はそのクライマックスを期待し、とても座っていられないから立つのでしょう。説教師は感動させて人々を立たせておいて、ストンと冗談に切り替えて人々に座るチャンスを与え、聖書の一節を読み、漫談を交え、真面目になり、…この繰り返しです。
説教は一時間ほど続きましたが、まだ終ったわけではありません。牧師もゴスペル・シンガーなら説教師もゴスペル・シンガーです。いつの間にか説教が楽隊の伴奏付きの歌に変わっています。この辺の呼吸は見事です。彼女の歌はアドリブのようで、今日のテーマ「奇跡」について歌っているようです。彼女は演壇を下り、会衆のフロアへ来て歌い続けます。この間に、会衆一人一人が演壇下へ進んでドネーションのお金を置きます。何の入れ物もなく、床に置くだけ。私も$5.00置いて来ました。
さて、ここまでは想像出来る人も、ここから先は無理でしょう。「お楽しみはこれからだ!」です。どういうサインが出たのかは分りませんが、会衆の半分ぐらいが演壇下の広いフロアに集まります。黒いズボン白シャツ黒ネクタイの"usher"(案内係)の黒人男性たちが何やら何枚ものタオル大の布を抱えて待機します。「何だ、何だ?」と思って見守っていると、音楽はいつしか楽隊の伴奏による聖歌隊の合唱になっていて、円陣を作った会衆の間で説教師が何かやっています。
説教師は白い布で信徒の高く挙げた両手を拭き、一言、二言信徒と言葉を交わしてから信徒の額に手を当てます。何も変化が無い人もいますが、大半はガクッと力が抜けたように崩れ落ちるか、後ろへ倒れます。そのために案内係は信徒の後ろで危険のないように待機しているわけです。この時、急激に震える人がいて、グルグル回転しながら震える人、倒れてから震える人と多様です。倒れた人には案内係が先ほどの用意の布を掛けて上げます。「芝居だろう」というのが正直な反応でしょうが、私にはそうは思えません。というのは、全てが終り99%の会衆が引き上げ、お掃除のおばさんがゴミ掃除を始めたのに、まだ床に倒れたままの女性がいたからです。案内係数人が介抱して、やっと起き上がっていました。
意味も判らず、呆気にとられて見ていたのですが、後で牧師にインタヴューして聞きますと、これは"Laying on of hands"と呼ばれる儀式だそうです。『研究社リーダーズ英和辞典』にもちゃんと載っていて「按手(あんしゅ)。信仰治療で祝福を受ける人の頭に聖職者が手を置くこと」と説明があります。牧師によれば、「信徒それぞれによって異なるが、ある人は病気、ある人は悩み、ある人は悪霊による災いなどのトラブルなどを持っていて、神が聖職者の身体を通じて信徒の身体にコンタクトする。信徒の信仰心が薄く、単に苦痛を取り除きたいだけという場合は何も起らないが、信仰心が強ければ必ず反応がある。何かプレゼントを貰ったら、喜びで身体が火照る。それよりもっと強い反応により身体が震え出す」とのこと。
この儀式の後は、また牧師がマイクを握りひとしきり歌があります。今度はそう長くなく、次第に聖歌隊と楽隊だけの音楽になって、それを潮に会衆は引き揚げ始めます。
私には凄い体験でしたが、Julianの80歳近い母親も「エンジョイした」と云っていたのが驚きでした。白人の教会で長くピアノを引いている彼女にとって、ベラボーに異質な音楽、異常な儀式だったと思うのですが…。我々をここへ誘導したJulianは、母親も私も十分満足した様子を見て安心したようでした。
帰ってこの体験をカミさんに話しました。信じられないという思いといいチャンスを逃したという後悔の双方が入り混じった表情が窺えました。私は“折伏”の危険も無かったのでホッとしました。
【おことわり】写真は別の日に撮影したものです。
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